2007年1月5日金曜日

これまでの歩み ー 3. 再生期

唯一の救いは、武田氏が退団される少し前に指揮者を確保していただいたことであった。現在の常任指揮者の岩田氏がその人である。武田氏が正式に退団されたのは、岩田氏の指揮でオール・ハイドン・プログラムでの定期演奏会(2001年)を終えた後であったと記憶している。


それからも暫くの間、緑ヶ丘公民館を練習場として少人数での練習が続いたのだが、その後「未完成」と「田園」を」カップリングした(当時の団の実力からすれば信じがたいような)プログラムで定期演奏会(2003年)を終えた辺りから、団の有り様が徐々に変わりだし、後の急激な変化、成長へと発展していくのである。


岩田氏がとった団の改革再生へのアプローチは、我々古参団員の目には、甚だ早急すぎる様に映ったが、短期間で団がベターな状態になっている現状を考えると、合理的な方法だったと言える。具体的な改革事項は以下の通りである。

  1. オーケストラの中での仕事の棚卸しと、役割分担により団運営を全員参加とし、団員個々が団を支えている事の認識を新たにし、責任感を植えつけたこと。
  2. 新団員の確保を口コミのみに頼らず、ホームページの開設により、広く愛好者に呼びかけたこと。
  3. 練習場を緑ヶ丘公民館より、他に求めることで、同公民館の行事に縛られること無く、オーケストラ本来の目的である演奏会開催によるより良い音楽の発信に専念出来る環境を作り、団の自立成長を図ったこと。
  4. 3に付随して定期演奏会を年二回として、会場も県下に広く求め、団員のモチベーションを高めたこと。
  5. 団の第一意思決定機関として役員会を置き、各パートより役員(運営委員と言ったほうが良いか?)を選出し総会議案のたたき台を作るなど、合理的且つスムーズな団運営を実現できたこと。
以上が主な項目であるが、それらは現在、団が高速道路をフルスロットル、ノンブレーキで走り続けるためのスタートラインとするには充分であったと考える。

そして今も三木室内管弦楽団(MCO)は、より良い音、より良い音楽、より良い演奏を求めて走り続けている。

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土本康弘

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