2011年4月10日日曜日

練習日誌 2011.4.9

初めて投稿します。Claの長谷川です。演奏会も目前に控え、熱気を帯びてきた練習のなか全速で精神的乱高下を繰り返している筆者です。(執筆の中、録音を聞いております。)
今回ソリストという大役を仰せつかって未だに緊張から離れられません。協奏曲は何度かバックでさせていただいたこととか踏まえて今の録音を考察してみると、いくつかの検討すべき点があるのではないかと思い、提起させていただきます。

1.奏者は何を聞くべきか
録音を聞く限りでは、奏者一人ひとりの演奏の一音一音を奏者自身が一番よく聞いているということです。言い換えると、自分で自分を聞き過ぎの感があるということです。もう少し自信を持って音をリリースし、他の奏者の音をもう少し聞くように気持ちを切り替えるだけで、演奏がより生き生きとなるのではないでしょうか?



2.音量という言葉の意味
記譜上でもフォルテやピアノといった記号で表示されていますが、何を示しているのか再考する時期ではないかと思います。そもそも音楽(とりわけ西洋音楽)において観客が感動する要素として響きがあると思いますが、その響きは演奏中は常に作られ続ける、作られ続けなければならないものだと個人的には考えております。今の録音から察するに、今の音量の概念は響きの多さ(全体的オーケストラの響きの総量)ではなく、個人の音の核(芯)の大きさ(の総量)になっているような感じがするので、もう少し外へ向けて響きを届けるように意識をスライドしてはいかがでしょうか?

生意気なことを記載してしまいましたが、より良い演奏に向けてそれぞれが意識しなければならないことだと思いますので、本番までのもう少しの期間をよりよい音楽へ高められるよう、私も皆さんとともに頑張っていきたいと思います。 乱文、生意気、失礼の限りを尽くしましたが、練習日誌とさせていただきますことをご了承くださいませ。本当にすいません。

1 件のコメント:

  1. ほんとそうですね。

    まず第一歩として、周りを聞いて、見て、「みんなが同じ気持ちになって、音楽が生きて、流れている」という感動を奏者一人一人に感じて欲しい。それから第二歩で、オケ全体で観客に音楽を伝える、そして第3歩として、観客の気持ちを演奏中に感じ取り、それを音楽に繁栄させていく、つまり観客席とのコミュニケーション。ここまでいって演奏会の意味があると思っています。

    ForteやPianoの強弱は、大小ではないですね。Forteは、力強くだけでなく、強烈にとか、壮大にとか、優雅にとか、刺激的にとか、爆発とか、乱暴にとか、狂気であったり、荘厳であったり、巨大であったり、圧倒されるようなであったり、雄大な景色のようにとか、いろいろあるわけです。Pianoも、か弱く、静かに、静寂に、優しく、死に絶えるように、可愛らしく、可憐に、小鳥のさえずり、空気が張りつめるように、とか様々です。想像力の勝負です。

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